高円寺のデモをめぐるさまざま 1   AAAブログ

 
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<ネット呼びかけで反原発デモ 15,000人>

4月10日(日曜日)、JR高円寺駅周辺での反原発を訴えるデモに参加した。

デモの様子は、以下の写真をご覧ください。
写真速報:若者パワーがついに炸裂!〜高円寺・反原発デモに15000人
http://www.labornetjp.org/news/2011/0410shasin
【現地レポ】高円寺『反原発デモ』の様子
http://getnews.jp/archives/110107



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 転記

長くなったので、2回に分けます。

昨日の高円寺のデモは実に有意義でした。

私がずっとひっかっているのは放浪する双葉町のことです。その双葉町の人も参加していました。



「です」の「で」が抜けているのか、「原発難民ス」とラフなアピールをしているのか、どっちかわからんス。

他にも写真は多数撮っているんですが、他の方々がアップしているので、あとはそちらを見ていただければ。

この人に声をかけてしばらく立ち話をし、あの町で起きたこと、起きていることを教えてもらいました。公開することを前提に聞いたわけではないので、ここでは書きませんが、多くの人に伝えた方がいいので、日を改めて話を聞こうと思っています。

双葉町の人と知り合えただけで私にとっては意義があったのですが、こういう行動に対して、必ず文句をつけてくるのがいます。もちろん、デモ主催者や参加者が真摯に受け止めるべき批判はありますが(その一例は「高円寺のデモをめぐるさまざま 2」の追記参照)、その多くはイチャモンと言っていい。

自分がやれば解消できる問題を他者の批判とするような真似だけはやるまいと私はずっと「マツワル」に書いてきました。若い頃に比すと、すっかりデモの類いからは足が遠ざかってますが、行かない自分を肯定するために、他者の足を引っ張ることはしたくない。

そういった類いのイチャモンを言う人たちは昔からいましたが、どうも増えているような気がします。ネットのせいで、そういった声が出やすくなっただけかもしれないですが。

たとえば「あのデモは左翼的でカッコ悪い」「あんなことをしても人は集まらない」「あれでは何も変わらない」といったもの。「カッコ悪い」と思うデモは私にもあります。でも、それって、ピーマンが嫌いという以上の意味はないです。趣味のレベルであっても、「あれ、嫌い」「あれ、だっせえ」と表明していいに決まってますが、それがあたかも普遍性をもつかのように装うと、自分に返ってきてしまいます。

左翼的なデモがイヤだったらそうではないデモを自分で組織すればいい。人を集めることの意義を感じるのであれば、人が集まるデモをやればいい。デモでは何も変わらないのなら、変わる行動をやればいい。

これは「原発反対」という主張に対して、「代案を出せ」という連中とはまったく違って、デモは申請を出せば誰でもできる。つまり「批判する私」と「批判される側」は同じところに立っている。ここでは資格はいらない。とりたてて能力もいらない。ちょっとした時間と労力があればいい。

容易に批判対象を乗り越えられるのですから、乗り越えればいいだけ。それをやらずに文句を垂れることこそ、なんの意味がありましょうか。意味のないことをやってもいいですが、意味がないと他者を批判するなら、まず自分の意味と無意味を問うて欲しい。

高円寺のデモが有意義だったのは、「自分でやればいい」ということを見せてくれていたことです。主催はリサイクル屋の店主。政党関係も来てはいたようですが、組織的に人を呼んだわけではない。どっかの政党ごときが動いたところで、ああも人は集まらないわけですし。つまり、誰でもできる。

参加者は多様でした。双葉町の人もいれば原発下請け労働者だった人もいる。パンクスもいれば女装子もいる。オタクもいれば右翼もいる。その多様性を許せない人もいるでしょう。実際、日の丸を掲げる人を批判している人たちがいるみたいですね。だったら、日の丸禁止のデモを組織すればいいだろうに。

原発の問題は、日の丸を掲げる人の問題でもあります。一水会は昔から原発反対を言ってましたから、鈴木邦男が来ていることは不思議ではないのですが、それ以外でも日の丸が参加していることを私は好ましく感じました。多様性を見せるために、私が日の丸を掲げてもいいくらいです。

イカレた日の丸一派が、このデモに来ていたら頭を抱えたかもしれないですが、あの連中が原発推進の主張を明確にしてくれたことで、胸を撫で下ろしてます。

もしかすると、東電の社員だっていたかもしれない。それだって、「たたき出せ」という人たちがいそうですが、私は東電の社員やその家族をも巻き込みたい。

今から20年以上前、電力会社の社員で、原発に反対している人から連絡をもらったことがあります。「会社ではできないけど、反対する行動をしている」と。その人たちを排除することになんの意味がありましょう。

あの多様性によって「何が問題か見えなくなる」という人たちは、「何が問題か見えやすいデモ」を組織すればよい。来週やればいいでしょう。

オールドスタイルのデモをやれば、「あれでは人は集まらない」と言い、高円寺のデモに対しては「お祭り騒ぎだ」と言い、つまりは何をやっても文句を言う人たちがいるってことです。文句を言っていると、自分が偉くなったように思えるんでしょうね。楽な生き方だなあ。

お祭り騒ぎだからこそ、あれだけの人が集まった。そこに双葉町の人が来て、私が行って、そこで話を聞けた。そこでもらったビラを見て、別の運動の存在を知った人もいるでしょう。あれに触発されて、自分の住んでいる町で始める人もいるでしょう。

つまり、お祭り騒ぎで終わらせるのかどうかは参加した一人一人の問題。その意思があるのかどうかの問題であって、主催の問題ではない。規模が小さいと、その意思は反映されにくいですが、あれだけ大きく、あれだけ多様な人たちが集まる場では、意思ひとつで多くのものが得られます。

上の写真以外を出すのをやめたのは、「面白い写真」「らしい写真」を出すと、デモの全体像が見えなくなるかもしれないと思ったためです。着ぐるみを着たり、コスプレをしている人たちはほんの一部。楽器をもっている人たちもほんの一部。ドラム隊はカッチョよかったですが、そこに代表させると誤解されそうです。もっともっとさまざまな人が参加し、さまざまなアプローチが可能な場でした。ありがてえっス。

にもかかわらず、あの場に行ってお祭り騒ぎで終わらせるしかない無能な人は、自分以外も無能だと思い込んで「お祭り騒ぎ」と批判する。こういうことを言いたがる人は、他人は自分ほどには無能ではないことに早く気づいた方がいい。

「高円寺のデモをめぐるさまざま 2」に続きます。

2011-04-11 9:46 [松沢 呉一]
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関連したタグを入力して、ボタンをクリックして、このブログの情報を組織するのを手伝ってください。 このエントリへの反応 1.ogi Nobuyoshi 4 月 11th, 2011 at 12:51 pm
デモの映像見ていて、三陸海岸で死んだ3万人の死者達が、「よろしくがんばってくれ」と言っているようで、参加できなかった私も悔し涙が出てきました。原発は事故が起こるから悪い(それも悪いが)だけじゃなくて、あの水蒸気とウラン核分裂という面妖なシステムが、人類の英知を愚弄しているような気がします。人間業ではありません。私はそういう観点からも原子力発電に反対しています。

CCC



[国際]ニュース MNS
汚染水放出は「国際犯罪」 チェルノブイリ関係者らが批判
2011.4.11 22:32
 【モスクワ=遠藤良介】東京電力が福島第1原子力発電所から低レベルの汚染水約1万1500トンを海に放出した問題で、旧ソ連チェルノブイリ原発事故(1986年)で現場処理の責任者を務めたオストレツォフ氏や環境専門家ら3人が11日、モスクワ市内で記者会見し、日本の措置を「国際犯罪だ」と強く批判した。

 出席者らは、汚染水の放出がロンドン条約(廃棄物などの投棄による海洋汚染の防止条約)に抵触すると主張。「日本は汚染水に含まれる物質を明らかにせず、その影響に関する科学的予測もなく放出した」「汚染水は石油ターミナルなどに貯蔵して処理することもできるはずだ」などと述べた。

 ロシアは日本の支援で建造された放射能汚染水の海上処理施設「すずらん」を福島に送る考えも示しており、出席者からは「日本は迅速に(受け入れの)決定をするべきだ」との声も上がった。

 オストレツォフ氏は産経新聞の取材に「まずは放射能汚染を局地化するための“障壁”設置を急ぐべきであり、それを石棺で原発を覆うための第1段階と位置づけるべきだ」と指摘。「状況は日本人が考えている以上に深刻だ。少なくとも北東アジア全体にかかわる国際問題として受け止めてほしい」と話した。

 ロシア外務省は今月7日、汚染水の放出について「今後は排出を容認しない措置を取るよう望む」との声明を出し、不快感を表明した。