論説における 立ち位置の自覚 #正確には <当該と支援の立ち位置>


セックス・ワーク概念の理論的射程 : フェミニズム理論における売買春と家事労働
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名古屋市立大 菊池夏野さんの論文  (リポジーーvol_24 所収)

B422-20150731-37 (438.71KB) [ 392 downloads ]

facebookに流れてきた、菊地さんファンなのでdownし拝読

売買春の具体性がないまま 紙幅の多くが<主婦の定義>の流れについやされている、この件は
立命館大学村上潔さんの博論とかで十分分析されつくしている。
いまさら石垣_武田とたどる意味もない、国家公認の戸籍記載一夫一婦制性関係の優位性に裏ずけられ
年金 税制 など金額で計量できる分野から、××の妻 嫁 母など社会生活上の肩書き等々単に「家事担当」である当該女子の切れ目のない気働き労働の定性定量には「その余」が山積している。

方や己の身一つ気持ちひとつでの「売買春」当事者は 比較しようもない「無産」状況である。

それは「主婦」の「家事労働」000万円と金額に兌換される以前に主婦と分類される女子がこの名のもと
果たさざるを得ない膨大な分野の極一部が「性」行為だからである
主婦となずけれれた女子はこの「性」の分野だけでも
排卵ー月経ーあるいは妊娠−つわりー分娩ー授乳---と連綿と身体負荷を担う


この膨大な負荷と墓地、家屋管理、次世代教育を含む「家事労働」と
売買春での金銭授受、社会的認知こみでも  対比するにはおおくの「点検事項」を無視できない

この手立てを省略して言語表示のみでいわゆる女性学的対比は本来不可能じゃないか?

女性学?とゆうカテゴリが 時代とともにでこぼこ?
状態で膨張してきた1985年以降 この現にある「買売」される「性行為」にそしてその行為で
生活している女子にどんな「言辞」をおくったか?
いまできるとしたら 性交(一過性)妊娠(代理母)つまり 膣貸し 子宮貸問題のフィールドワーク
ではないだろうか?膣内射精暴力論?とも交差すべきだろうし、

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さて、こうまでいってしまうのは、ここのところ「当事者」と「論者」が不明確なまま、端的にいえば
「女」であると免罪符にして当事者ぽく論述をしたててしまうん安易さがめだつからである。

ー大昔対談メンバーの一人が榎美沙子とききにげだしてしまい、急遽婦人民主新聞編集長本多房子さんから
電話で代打を依頼され、議員会館の先生のお部屋で鼎談したとき、
女性党」をつくりましょう!とはしゃぐ榎に 市村房枝さんは、たんたんと
「女もいろいろですよ!」ととりあわず、お茶菓子にとクッキーの缶あける手先が不器用にうごいていた。

そう!女も「いろいろ」です。全員が「私も女で、だから主婦!」といわれると「主婦問題」は混沌と
してしまう。

都心の道路沿いガードレールで段ボウルハウスに寝るホームレスの人たちとガスコンロでおつゆつくり
ご飯もたいて夕餉のパーテイをしていたリーダーを「襤褸はきてても心はーー」と見た目の形容をした
某女性教授に「ためしに一度この道路パーテイにきてご飯ご一緒にどうでしょう?おうちの残り物1品持参でご参加を」と主催者がメール。
なんとお返事は「私材料使い切るので、あまり物はないので、、」と不参加のお返事が。。。。
政府\\の委員もされてて、講義論文ご多忙とのお返事じゃなく「あまりもの無い!」と。。!「なに!」
主婦戦線星組の私は腸にえくりかえって、、、もう7、8年たつのに まだくやしい。。

詳述しますと主婦が台所であくせくうごいてるとき、食材や調味料「全部使い切る」なんてこと絶対にありません!次の食卓明日のおかず 連綿と続く食事ずくりに すきやきのねぎ一本あすの味噌汁に残す的「素材やりくり」こそ主婦の手際!まして味噌しょうゆ 油 砂糖 在庫あるのが普通の台所。
このかたは「まい包丁」お持ちだとか、夕餉の支度にご親友とコンビニにはいられたとか、お天気いいので
洗濯ほしてて講義に遅刻とか。。一見「家庭的」「主婦ぽい」イメージがついてくるが、♀ではあっても
「主婦」的状況からは かなり遠い立ち位置


市川房枝さんがゆうように「女もいろいろ」でこの世が資本主義でお金持ち&貧乏が混在しているのは自明
の状況です。

しかしです!この世の表男社会はこうゆう台所事情などおかまいなし。彼女は「女性」ときに「主婦」代表
としてコメントもとめられ、なんの痛覚もなく コメントがながれる、、、、

るるのべましたのは
「当該」と「支援」の立ち位置はくれぐれも 御自覚いただきたいとゆうこと、
この立ち位置の峻別こそ 言論で状況を云々される幾多の学究におねがいしたいことです、