当事者  <当該と支援の立ち位置>


インタビュー

藤原千沙(法政大学准教授)

情報労連REPORT2015年7月号掲載

先進国の中でも低水準である日本の最低賃金。なぜ低いまま抑えつけられてきたのか。なぜ引き上げる理由があるのか。生活給という思想の弱点から探る。


 日本の最低賃金水準が低いままである背景には「生活給」思想があるのではないか。生活給とは、労働そのものや仕事や職務に対応して賃金を支払うのではなく、働く人の生活を考えて賃金を支払う考え方である。典型的な属人給であり、労働者の生活に配慮した賃金思想が、低すぎる最低賃金で生活できない労働者を増やしているとしたら、逆説的でもある。

 日本の賃金の特徴といわれてきた年功型賃金カーブは、労働者のライフコースにそった生計費の増減におおむね重なることで、労働者の生活を支えてきた。生活給という言葉は使われていなくても、正社員の賃金体系では、年齢給や基礎給といった土台の上に、職能や職務に対応した部分が積み重なる形が今でも多い。職務遂行能力の形成や役割付与の面でも事実上年齢や勤続にしたがって運用される結果、たとえ職能給や成果給と名づけられていても年功型賃金カーブは実質的に維持され、労働者の生計費を事実上保障してきた。労働者は賃金で生活しているのだから、賃金が生活できる水準を下回らないことは当然といえる。

●生活給思想の魅力と陥穽

 1950年代から60年代にかけて臨時工の処遇が社会問題になった際も、不安定な有期雇用や差別的な低賃金では生活できないという訴えがあり、本工化の運動につながった。だが高度経済成長期に既婚女性が「主婦パート」として働くようになると、彼女たちは生活には困らないという前提で低処遇は社会問題にならず、パートの賃金は最低賃金制度や地域相場といった市場価格で決められてきた。

 労働運動の側も、正社員の賃金交渉では「物価が上がった」「生活が苦しい」など“生活”を前面に掲げて賃上げを訴えるが、非正規労働者については時給何円アップという交渉スタイルである。非正規はその仕事の賃金だけで生活しているわけではないと前提しているからであり、「同一労働同一賃金」原則と対極にある生活給思想である。

 主婦パートは夫がいるから、学生アルバイトは親がいるから、「生活できるから」低賃金でも問題はないという賃金思想は、外国人労働者も「母国に帰れば生活できる」「母国の物価に比べて低くはない」という理由で、低賃金の正当化につながる。仕事そのものの価値や職務に応じて賃金を支払うのではなく、その人の生活を加味して賃金を支払うという生活給思想は、一見、労働者の暮らしを大切にしているように見えながら、労働者の属性や身分に基づく差別をもたらす危険があるのである。だが生活を大切にするという思想は魅力的で、私たちはまだその罠から逃れられていない。

●税制・社会保障制度での強化

非正規労働者は低賃金でも生活には困らないという考え方は、税制や社会保障制度によっても形作られた。パートの非課税限度額の引き上げ、配偶者特別控除国民年金の第三号被保険者など1980年代の諸政策は、主婦パートは扶養の枠内で働いたほうが有利である構造を作り出し、非正規の賃上げ要求の封じ込めに成功した。企業にとって非正規労働者は、社会保険料の企業負担なく、賃上げも叫ばず、いつでも雇い止めができる便利な労働力として位置づけられたのである。

 そのような構造で苦境に追い込まれていたのは、夫のいないシングルマザーや単身女性である。だが女性労働者が低賃金なのは仕方がないと、これまた属人的に賃金が理解され、労働問題ではなく社会福祉で対応する領域とみなされた。今日ようやく非正規労働者の低賃金が“問題”となったのは、非正規雇用が男性にも広がったからにほかならない。

●「生活できない」という訴えの脆さ

 非正規雇用の賃金は、とりわけ地方では最低賃金の水準に張り付いた形で決められている。にもかかわらず、最低賃金審議会は、公益代表、労働者代表、使用者代表いずれも最低賃金とは縁のない暮らしの人たちで構成されている。こんな低水準では貧困から抜け出せないという最低賃金労働者の声を審議会に届けても、どうしても切実に聞こえないのが実情ではないだろうか。むしろ最低賃金を引き上げると企業がつぶれる、雇用が失われるといった声のほうがリアルに響き、最低賃金は低水準に留め置かれてきた。

 「生活できない」「貧困から抜け出せない」と訴えて最低賃金を引き上げる戦略には脆さもある。なぜなら最低賃金水準で働く労働者の中には、まさに主婦パートや学生アルバイトなど彼らが属する世帯でみると低所得ではない人々が存在しており、最低賃金の引き上げはそういった中堅所得層にも恩恵をもたらす結果、貧困対策としては効率的ではないという見方があるからである。貧困問題の解消策としては「給付付き税額控除」など税の再分配によるほうが効果的であるという意見は経済学者の間では強い。

●公平性と社会正義の問題

 では最低賃金の引き上げは政策的に不要であるかというと、私はそうは考えない。現状の最低賃金は、絶対的な水準としても正社員との賃金格差でみても、あまりにも低すぎるからである。「生活できるかどうか」を判断の基準として属人的に賃金を考えるのではなく、労働そのものを見つめるべきだ。

最低賃金の仕事であっても、労働というものは、誰もが簡単に労力なくできるものではない。スーパーのレジ仕事は日本では立ちっぱなしのまま迅速で正確で丁寧な接客が要求される。介護仕事では腰痛は当然視され、過酷で劣悪な労働環境も多い。「生活できるから」低賃金でも良いという考えは、労働そのものの価値を貶めるものである。公平性(フェアネス)の観点から、あるいは社会正義(ジャスティス)の観点から、日本の最低賃金水準は問題視されるべきだ。

●雇用優先の弊害

最低賃金を引き上げると企業がつぶれる、雇用が失われるといった主張に対しては、それはどんな企業であり、雇用なのかを問いたい。労働者がフルタイム働いても貧困であるような賃金しか支払えない企業は、社会に「寄生」する害悪でもある。

 日本は社会的な安定装置として「雇用」を大切にしてきた社会であり、雇用を守ること、企業を支えることが重要視されてきた。だが「ブラック企業」という言葉に象徴されるように、労働者を買い叩き働き詰めにして病気になれば使い捨てるような雇用も残念ながら存在している。

 どんな雇用でもあるだけましという雇用優先の考え方は、失業率を低く抑える効果をもたらしたが、過労死、過労自殺精神疾患ワーキングプア少子化など、数えきれない外部不経済を生み出した。また皮肉なことに、雇用の質の劣化を許す結果となった。最低賃金を引き上げると企業がつぶれるという主張は、労働者の価値を低賃金であることにしか置いていないことと同義である。

 「地位が人をつくる」という言葉があるように、企業の経営者に対しては、最低賃金の労働者にも役割や権限を与えて能力を醸成し、賃金は高くなってもそれに見合う生産性を発揮できる労働者に育ててほしい。それこそが、人を雇用する企業の社会的責任であり、そういった企業や雇用こそ私たちは守る価値がある。

 低所得世帯は消費性向が高いため、最低賃金の引き上げで所得が増えれば、確実に消費に回り、内需は拡大する。OECDの調査でも、所得格差の拡大は経済成長の低下につながるといった報告がなされており、最低賃金の引き上げは長期的にみれば経済成長にも寄与する。

非正規労働者の拡大によって、日本の労働者の賃金面での成果配分は極めて弱くなった。低すぎる最低賃金は労働の価値への冒涜であり、組織労働者にとっても決して無縁の問題ではない。社会全体の労働者に目を配り、労働の尊厳と成果配分を求める運動に力を注いでほしい。